映画の未来と元町映画館の未来~デジタル問題を考える


昨日2月17日、映画『サイド・バイ・サイド』の上映にあわせ、神戸・元町映画館にて「映画の未来と元町映画館の未来~デジタル問題を考える」というトークイベントが開催されました。パネラーは大森一樹監督、浅井隆氏(配給会社UPLINK代表)、そして元町映画館の藤島支配人。トークはしばしば笑いに包まれるなど厳しくも和やかな雰囲気に包まれ、予定最長時間いっぱいの2時間を使いきるという大盛況ぶりでした。(写真:神戸市中央区元町映画館2Fエントランス、2013年1月28日撮影)
トークは元町映画館2階で行われましたが、2階ロビーはなんとこの日が一般客への初公開だったということです。ということで、まずは少しだけ紹介を。色々と写真をとりたかったのですが、なにせ多くのお客さんがいらっしゃるのでこの日の撮影は断念しました。上の写真は先月こっそり忍び込んで撮影したものです。
2階に上がって左側には秘密の(?!)スタッフルームがあります。そしてさらにその部屋の奥の扉をあけると、さらなる謎のツタが!下のツタの写真は昨年秋撮影のものです。

これまでロビーが狭くて早く着いてしまったときなどは時間をつぶすのに困っていた人も、これからは2階で本を読むなりなんなりしてゆっくりと待てそうです。

さて、前置きはこれくらいにしておきまして、本題のトークの内容を記録しておきます。昨夜家に帰ってから急いでメモしたことですので、重要な内容が欠落しているかもしれません。また、記憶にたよって書いていますので、それぞれの方がおっしゃった通りの文言ではないこともあるかもしれませんし、私の考えがどこかで混ざってしまっているかもしれませんが、その点はご容赦くださいませ。(*がついている部分は私の補足です)

~大学の現状~

*大阪芸術大学映像学科学科長である大森監督が同学科にての授業方針について簡単にお話ししてくださいました。

大森監督:大学では生徒には(今のところ)フィルムでの技法を教えており、フィルムで作品を撮らせ、手作業での面倒な編集をさせている。それは、芸大とは職業訓練校でも専門学校でもなく、「映画」とはなんたるやを教える場所だから。生徒には「ここでしかフィルムを触れるときはないんや。もう一生フィルムなんか触れんぞ(笑)」と常に言っている。しかし、大阪芸大も来年度以降の方針は定まっていない(*つまり、授業をデジタルメインに切り替えていくということか)。
学生にフィルムをいじらせるというのは単なる体験のためだけというわけではない。目に見える長さを持つフィルムを物理的に手にして編集することによって、あるカットとあるカットをつなぐと1+1=2ではない、まったく別の効果が生まれるということが体感できるからである。ボタン一つでのデジタル編集ではこれはなかなか理解しがたいのだ。

~デジタル化の功罪~

大森監督:デジタル化の功績は、誰でも手軽に安価に映画を作れるようになったということ。そういうわけで、邦画の数がここ数年ですごく増えたということなのだが、10本のうち9本はカスである。作らなくてもよい(作るにたる能力や才能がない)人までもが作っているからである。これはもう映画のブログ化といってよいだろう。デジタル化により恩恵を受けるのは、制作・供給サイドのみである。デジタル化の最大の被害者は、実はこの大量に作られたカス作品を見せられる観客なのである。
出来上がった他人の作品を見て、デジタルかフィルムかの映像面での違いはまったくわからない。デジタルによって失われるものはヴィジュアル的な「映像」の質としての面においてはまったくなく、良いことしかないだろう。藤島支配人はフィルムの何が良いと思っているのか?
支配人:僕はフィルムが好きだ。(技術面・化学面での専門的なことはわからないが)デジタルとフィルムでは色が違う。
大森監督:映画の重要な要素には:映像、音、そして「時間」というものがある。この3つ目の要素、映画としての「時間」にデジタルは大きな(悪)影響を与えている。フィルムの場合は、その性質上(物理的なサイズなど)最長で11分しか撮影できない。なので、その10分ほどの制約の中で映画は撮影され、編集技法が生み出され、映画としての「時間」が生み出される。映画の文法とでもいうものだろう。デジタルは違う。延々、何分でもカメラを回せるのだ(具体的にはハードディスクに保存した場合1時間ほど)。そうなると、編集技法を駆使することも学ぶことも必要なくなるし、出来上がったものは、まったくもって美しくないのだ。編集により生み出される、映画のみが持つ独特の「時間」の流れがデジタルの導入によりすっかり失われてしまったのだ。「映像」としてのデジタルとフィルムの差など問題ではない。問題は、デジタルによる制作プロセスが作り手のメンタリティ、そして、完成作品に与える変化である。

~ミニシアター、そして、元映の未来について~

大森監督:なんでミニシアターが、DCPだのデジタル機器だの、導入しなきゃいかんのか?なんで新しいものを無理して導入するのか?そんなもの、必要ないだろ。それが出来ないのはミニシアターの経営上の問題であり、デジタル問題ではない。問題をすりかえている。デジタル機材を導入して新作を元町映画館が上映しなければならない必要性はないだろ。もっと大きなミント神戸などで十分やっているだろ。それなら、新作は無視して、ミニシアターにしかできないものを上映すればよいではないか。新しいものなどいらないだろ。
浅井氏:(*基本的にはデジタル推進派)デジタル導入の最大の功績はやはり経済性であろう。現在ミニシアターがデジタル化問題と騒いでいることの本質は、ミニシアターの経営問題であり、それは、(*資本主義の)会社経営者であれば誰しもが直面する個々の経営上の問題であり、決してデジタル移行が問題であるというわけではないのだ。ミニシアターの経営者はもっと問題の本質を見つめて、経営改善に向けて具体的に考えるべきである。藤島支配人は具体的に何か考えていますか?例えば、元町映画館はデジタル機材を導入する500万円がないというが、普通の中小企業でも新たな機材を導入するのに現金で500万円を持っているところなどなく、なんらかの方法で資金を調達(借金も含め)してくるのである。そのような努力(或いは当たり前のこと)をミニシアターもすべきなのだ。責任をデジタル化に転嫁してはいけないのだ。
DCP(*1)上映に必要な機材の導入に支配人は500万円かかるというが、元町映画館の場合は、何もDCPにこだわらず、ブルーレイ上映でも構わないのではないか。ただし、現在既に行っている元町映画館のブルーレイ上映はスペックが低すぎる。解像度が1.2K(*2)。こんな上映環境では、配給側としては作品を出したくない(笑)。低画質でブルーレイを上映し続けるミニシアターがたくさんあるから、「デジタルは画質的にフィルムより劣る」という意見が出てしまうのだ。最低でも2Kは欲しいし、今後のことを考えると是非4Kにしておいたほうがよいだろう。この方法であれば250万円くらいの予算でなんとかなるだろう(*3)
また、資金調達方法として、例えば元町映画館を会員制とし一人一万円払ってもらう。そして無料鑑賞券を10枚、或いは20枚つける。500人が会員になればあっというまに500万円が集まるでしょ。
(*1) DCP:デジタル・シネマ・パッケージの略。ハリウッドが決めたデジタルシネマに関する技術統一の仕様であるDCI(デジタル・シネマ・イニシアチブ)準拠の設備で上映されるための上映フォーマット。
(*2) 1.2K、2K、4K:画面・スクリーンの解像度を示す数字で、水平画素数を表している。「K」とは1000のことであり、つまり「4K」であれば(おおざっばに言うと)横に4000列の画素があるということ(縦は約2000)。当然ながら、この数が多いほど情報量も多く、くっきりと滑らかな画像となる。
(*3) 2月19日補足:私の記憶違いがあるかもしれないので補足しておきます。2月19日のツイッター上で、浅井氏ご本人が「ミニシアターにもなぜDCPが必要なのか。ブルーレイは画素数で1920×1080でDCP上映は2Kが2048×1080。DCPはサーバーとプロジェクターが規格が決められているのでどこでも2K上映。ところがブルーレイだと1280×800のプロジェクターがで上映している劇場もある。続」「【劇場の皆様へ】ブルーレイで上映されている映画館でDCI準拠によるデジタルシネマ化を考えていて、既存のプロジェクターがフルHDに対応していないなら、まず、フルHD対応のプロジェクター導入をぜひ考えてブルーレイのベストな画質でお客様に映画を見せてください。お願いします。」「DCPサーバーとプロジェクターと工事費一式500万を切る値段から映画館をデジタル化できる。それでも高いというなら、半額以下でプロジェクターだけ民生器を使用する方法もある。プロがイマジカで色補正を民生プロジェクターで行っている。http://p.tl/nK7I 」(2013/02/19 Twitterより引用)とおっしゃっていましたので、上記、ブルーレイのスペックを2K相当画素数のフルHDにあげるのに250万円なのか、プロジェクターのみ安価な民生器を使用すれば250万円なのか、のどちらかをおっしゃっていた可能性があります。いずれにしても、どちらかの方法で500万円よりはずっと安くできるではないかということがポイントであると思いますが、ご本人の意図からは外れる誤った情報を流してはいけないと思い、ここに補足させていただきました。

~私からの質問~

私:デジタルが抱える最大の問題はその再現性。十年後、二十年後、三十年後には再生できないだろう。この点については何か対策は?
浅井氏:今のところ日本ではデジタルシネマの保存はJPEG2000符号化方式(*記憶違いであったらすみません)により行うと決定しており、このフォーマットは今後十年は変えないことになっている。だから十年はとりあえず大丈夫。しかし、DCPのみならずブルーレイなども、その先はどうなっているのか…再現機器やフォーマットが変わるたびに変換・コピーを繰り返すには莫大な費用がかかってしまう。
私:デジタル化によって誰もが手軽に映画を撮れるようになった弊害として、監督がおっしゃったようにカス映画があふれてきているが、今後上映される映画はどんどんこのような傾向になり、これを観て育つこれからの子供達の見る目が養われないのではないかと危惧しているのだが。
大森氏・浅井氏:映画『サイド・バイ・サイド』の中でも、デジタル化で作られた安直な作品ばかりが溢れ出すと、審美眼が今後育たないのではないかと言っていたね。
私:それなのに、何故、映画業界全体としてデジタル化を推し進めるのか?
浅井氏:その答えは経済性だ。
大森氏:芸術性は間違いなく重要。しかし、芸術性は商業性があって成り立つもので、その逆(つまり芸術が商業を支える)ということは成立しない。興行性・経済性を無視しては、芸術すら作れないのだ。
浅井氏:映画の授業を義務教育の必須科目に取り入れればよい、ダンスなんかやめて(笑)。

~その他のエピソード集(2013年2月19日追加)

その他、この日出たお話しを思い出せるだけ箇条書きにて…

・かつての飛行機での機内映画上映は16ミリフィルムによるものであった。「あんなん燃えるで!(大森監督)」(会場内爆笑)。機内上映はその後、RGBの3つの色源による3管式プロジェクタ→単管式プロジェクタ→個別の手元モニターへと変遷をとげる。これはいわば映画の上映メディアの歴史とある種重なるとも言えるのでは(大森監督)
・現在市場に出回っているブルーレイ再生機はすべて民生用であり、劇場がスペックの高いプロ用ブルーレイプレイヤーを購入しようとしてもそれは存在しない。せいぜい1万5000円で買えるようなものしかない。(浅井氏)
・35ミリフィルムのプリントには映画1本分で大体30万円ほどがかかる。これを例えば全国100カ所で同時に公開しようとすると100本のプリントが必要となり、3000万円も必要となってしまう。しかし、例えば1本のプリントを順次(ミニシアターで)公開していけば(極端な話が)映画1本に対して総計30万円ですむ。(藤島支配人)
・審美眼を養うという点では、高校の授業で名作と呼ばれる作品を見せるということもできるだろう。例えば文学におきかえると、森鴎外や夏目漱石にはまず教科書でふれていくではないか。授業で小津、黒澤、溝口 etc.作品などをとにかく見せるのだ。(大森監督)
・VPF(ヴァーチャル・プリント・フィー)とはあくまで「金融」スキームであり、金融会社がデジタル化による費用の負担を分散させるために考え出した策である。確かVPFは既に締め切っているのでもう参加はできないはず。(浅井氏)(*この「締め切っている」という点ですが、私の知識不足で、どういうことか、つまりは、もうVPFに参加する劇場というものは決定していてその申込みを締め切ったということなのか?という点がはっきりとしませんでした。質問したかったのですが、時間切れでした。ただいま調査中)
・阪神間のミニシアターのデジタル化予定:宝塚シネ・ピピアが署名活動を行い、デジタル機器導入の費用を市が援助する案が。KAVCは神戸市が援助。シネマ神戸、パルシネマは当面導入せずにがんばる。(*正確な情報かどうかは未確認)
・第七藝術劇場での『サイド・バイ・サイド』上映は2週間で売り上げが20万円ほど。(*第七藝術劇場支配人がいらっしゃっていました)この日の元町映画館での『サイド・バイ・サイド』の入場はほぼ満員(*「あと4人…」とおっしゃってらしたと思うので60人ほどか)。『サイド・バイ・サイド』は同時公開ではなく順番にやっている。(藤島支配人)
・古いフィルムの映画には傷や雨のようなものがついてしまっているものがあるが、あれがかえって好きだという人もいる。しかし、それは単なるノスタルジーであろう。しかも、あのようなものは現在、デジタルで簡単に加工・再現できてしまう。(浅井氏)
現在アメリカにおける映画上映媒体は大きく3つに分けられる:劇場、家庭におけるTVモニター、携帯型タブレット。このうち最も多く見られているのが二番目の家庭でのTVモニターだ。であるから、商業を意識したアメリカの制作会社は、映画をこのTVサイズで最も見やすい形に意図的に制作している(ところが多い)。結果としてはアップの多用など、劇場サイズには適しないTVサイズの作品、TV鑑賞に適した編集の作品が多数制作されているのだ。(浅井氏)
・デジタルで4Kだの8Kだの、どうしてそこまで解像度を上げる必要があるのか。そんなに細部まで綺麗に見ても仕方ないだろう。(そこまでの)解像度の高さなど重要ではない。重要なのは、そこに存在する悲しみや苦しみや喜びをいかに表現するかなのだ。(大森監督)

+++++++++++++++++++++++++

以上、もっともっと内容は盛りだくさんでしたが、ポイントのみかいつまんで記録しておきました。残念だったのは、「フィルムの良さ」を相手に納得させる説明ができず撃沈(?)してしまった我らが元町映画館支配人!この点については、もっと具体的・理論的・化学的に武装してのぞんでほしかったなあ(とはいうものの、すごく頑張っていらっしゃいました!)。
500万円会員制の話も、私は最初「それは良いアイデア!」と思ったのですが、後からスタッフの方とお話しをしたところ、そうするとその無料招待券があるうちは皆がそれで鑑賞するのでしばらくは売上がかぎりなくゼロに近づき、そうなると配給側が映画を出してくれなくなるので現実的には不可能とか。なるほどです。そういう点も、支配人!きちんと反撃してほしかったなあ(でも、ひつこいようですが、頑張ってましたよ、赤い靴で!)。
今回のトーク、そして映画『サイド・バイ・サイド』鑑賞では、じゃあミニシアターは、そして、元町映画館は、このデジタル化の荒波を乗り越えるために何をすべきかという明確な答えは出ませんでしたが、たくさんの人にとって、この問題について、感情的にならず客観的に考えてみようというきっかけになったのではないでしょうか。
デジタルによる製作にも良い面はたくさんあります。映画の中で、ある女性監督がデジタルでなければ映画なんて撮れなかったと言っていましたが、確かにその通り。実は私も芸大で映像製作を学び映像関連の仕事に若い頃ついていたのですが、その機材の重さと男社会のために断念しました。筋トレや腹筋もして朝ごはんもたくさん食べたのですが、筋肉はいっこうにつかず、重い機材を持つことはできませんでした。そういう小柄な女性にはデジタル機材は新しい道を開く救世主であるかもしれません。
しかし、私にとってやはりショッキングであったのは、デジタル化推進の一番の理由は、そのようなデジタルの持つ新しい可能性ではなく「経済性」であるという浅井氏の言葉でした。カス映画ばかりを見せられる未来の子供たちはどうなるのでしょうか?映画人などもう生まれないのでしょうか?つまり、デジタル化というのは、映画は早晩芸術ではなくなるし、その必要性はないという映画業界の決断なのでしょうか?本日のトークで日本映画の未来がますます見えなくなってきました。

Twitterボタン
Twitterブログパーツ
その他の最近の記事