リム・カーワイ監督「アフター・オール・ディーズ・イヤーズ」+トーク

去る2月3日、元町映画館にてリム・カーワイ監督の「アフター・オール・ディーズ・イヤーズ」を鑑賞してまいりました。この日は監督の舞台挨拶もあり、ちょっとしたお話しがうかがえるということで最前列にて待機(いつも最前列やん!)。リム監督はとても気さくな明るい方で、質疑応答も終始和やか。残念なのは時間があまりなかったということ。もっと時間がほしかったです。本日はそんなリム監督のお話を以下にまとめてみました。難解とも言われる本作品を観るにあたってのヒントになるかもしれません…。

リム監督
舞台挨拶/質疑応答を終えたリム・カーワイ監督。神戸市中央区元町映画館前にて

-来日から映画製作前まで-

監督は日本に来られてまずは日本語学校へ通い日本語を習得、その後大阪大学工学部に入学し卒業後はエンジニアとしてまっとうな(??)サラリーマン生活を日本で送っていたとか。その後北京の映画大学へ進学するも中退。その理由については「先生が映画の話をまったくせず、自分の自慢話ばかりしていた」からだそう(つまりはアホな教授陣に嫌気がさしたということなのでしょうか…)。このことについて元映支配人が「学ぶべきものは何もないと思ったのですね??」と執拗に質問するも、監督は笑いながら「そんなことはない」と否定しておられましたが、まあ、そんなところだと思います…。

-映画の内容についての質問-

監督は内容について丁寧に答えてはくれるものの最終的には明白な答えを与えてはくれず、終始にこやかなお顔ではぐらかすばかりという印象でした。結局、この映画の謎というか解釈はそれぞれの観客にゆだねられているということなのでしょうか。以下に覚えている範囲内でこの日出された質問とそれに対する答を記しますが、例によって内容は私の頭の中で再構築されたものですので、ここで使用されている文言やフレーズは実際に使われたものと異なるかもしれないということをお許しくださいませ。また、(* )は私の解釈や言葉です。
Q:この作品を製作されたのはいつですか?というのは、この映画で描かれている世界がデビッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』に共通するものがあると感じたので、マルホランド或いはリンチの影響が大きいのかと思いまして(*私の質問です)。
リム監督:この映画を作ったのは2009年です。デビッド・リンチは大好きな監督ですし、もちろん『マルホランド・ドライブ』も観ましたし非常に好きな作品です。しかし、本作品とリンチはまったく関係ありません(全く影響は受けていません)。本作品に大きな影響を与えたのはゴダールと黒沢清氏です。むしろこの次の作品(マジック&ロス?)のほうがリンチ的と言えます。
Q:「窓」や「ドア」がとても印象的に使用されているように感じたのですが、これには何か意味があるのでしょうか?観客が外から見ているという、ある種の「覗き趣味」ともとれるのでしょうか?
リム監督:窓越しのシーンの多用は意図的なものです。(*すみません、ここの監督の意図がいまひとつよくわかりませんでした…)
Q:映画の中の台詞で(英語字幕に)「…after all these years.」とあったのですが、これは意図的にタイトルを忍び込ませたのでしょうか?
リム監督:はい、その通りです。台詞の中にこの言葉を入れたかったのです。タイトルの由来ですが、これはポール・サイモンの『Still Crazy After All These Years』から頂きました。理由は深いものではなく、単純にかっこいいから。『Still Crazy After All These Years』をそのままタイトルにしてもよかったのですが、これでは(映画の)内容をそのまんま言ってしまってることになるのでやめました。(*このあたりも映画を読み解くキーでしょうか) ちなみに、もう一つの私の作品『マジック&ロス』はルー・リードの同名アルバムから。(*ルー・リードの同アルバムは二人の友人の死をきっかけに、その亡くなられた友達に対して作られたアルバムです) 音楽のタイトルにはすごくインスパイアされるんです。でも映画の中身がその音楽によって作られるということではなく、単に「あっ、かっこいい!この言葉使いたい!」という程度のものです。
Q:主人公のことを故郷の誰も憶えていないという事実が衝撃的でそれがすごく気になったのですが、結局、この問題は解決されずじまい。また、そのようなことはかなりショッキングなことだと思うのですが、主役の男性はあまり動揺していないように見えました。これは役者さんが下手なのかなとも思ったのですが…。そういうこともあって、途中から映画に入り込めなくなり、とても見難く感じたのですが。誰が主役なのか、わからなくなってしまったんです。
リム監督:もし入り込めなかったのなら、見難かったのなら、本当にスミマセンでした。登場人物達が感情を抑えているのは意図的なものです。多くの映画は「誰の視点から物語が語られるか」ということを明白にしています。しかし、本作品では意図的にそこをかなり曖昧にしました。誰が主役なのか、つまり誰の視点なのか、ということを考えてみますと、明らかに候補は3人です:(一見主役のような)青年ア・ジェ、レストランの店主ラオ・ファン、ラオ・ファンの娘メイリン。この3人のうちどの視点で物語を見るか、このあたりもポイントでは。色々な見方ができますが。
Q:先ほどの質問にあった下手な演技のせいというのは私には感じられませんでした。とても良かったです。私にとって主役はむしろ途中からラオ・ファンとなっていました。(白日夢ともとれる)こちらの世界とあちらの世界が現れ、登場人物たちが前の記憶をなくしているかのように見える中、ラオ・ファンだけが一貫して言いようのない不安を引きずり続けていたように思うのですが。(*私の質問)
リム監督:心の不安を吐露する同じ台詞がラジオを通して映画の中で三度出てきます。この声の持ち主はラオ・ファンです。しかしながら、これはラオ・ファンの物語なのでしょうか?ア・ジエとは誰なのでしょうか?ラオ・ファンとは誰なのでしょうか?第二部でア・ジエは復讐しに再び町に現れます。しかしこれは誰なのでしょうか?二人の男の立場は一貫しているのでしょうか???
Q:監督は子供の頃、どのような子供だったのですか?かなり暗い子供だったのでしょうか?普通の子供でしたか?
リム監督:普通ですよ(笑)。非常に楽観的で愉快な子供でした。でも思いだしてみると、表面的には明るかったけど、中身はちょっと暗い子供だったかもしれません…。
Q:ラストシーンなど、列車がとても印象的に使われていたのですが、何か意味があるのでしょうか?
リム監督:意味というか、列車というのは映画につきものでしょ。世界最初の映画も列車でしたね(*ルミエール兄弟の記録映画のことかな?) 列車というものは映すだけできまるんです。映画にはつきものなんです。今回の作品においては深い意味はないけれど、列車を入れればとにかく映画になってしまうんです。昔から数々の映画で列車は使われてきましたよね。
Q:レストランの店主が飼っている金魚には何か意味があるのでしょうか?
リム監督:金魚は最後どうなりましたか?そしてそれを行ったのは誰ですか?結局ア・ジエが薬を入れて殺しましたよね。
Q:(*これは終了後に外でうかがいました)工事現場の階段(とその影)のシーンですが、あの階段はあの絵が撮りたくて探しまわられたのですが?それとも偶然あの階段を見て「撮ろう!」と思われたのですが?
リム監督:この作品は北京で撮影したのですが、北京は(建築ラッシュで)あのような工事現場がどこにでもあります。ですから探すのには苦労しませんでした。あの階段ですが、あれは確かにあの現場に行ってから気づきました。これは使えると思い、あのシーンをあの階段で撮りました。

以上です。次に簡単に私の感想を。

10年ぶりに故郷へ帰った男ア・ジエが自分の家に戻ると誰も彼のことを憶えていない。憶えていないどころか、そのような人間は存在しないと言う。町へ出ても誰も彼の存在を憶えている者はいない…というなんともショッキングな話でこの映画は始まります。このエピソードにいきなり釘付け。だって考えてもみてください、そんな状況、ぞっとしますよね。しかしこのエピソードはとんでもない、ある意味なんともすっきりしない方法で終了し、映画は第二部へと…。第二部では第一部で死んだはずの男が同じ町に同じ名前で現れ別の世界が展開。町の住民も第一部で起こった事件など記憶にはない模様。そしてラスト、さらなる第三部の幕開けを暗示するシーンで映画は終わります。
この映画は「ジャンル的にはサスペンス映画なのです。しかし、スタイルはサスペンス映画ではないかもしれません。(中略)観客に自由に自分の解釈と想像で楽しんでもらうために、意図的にいくつかのヒントと解釈可能な答えを仕掛けました」(After All These Years公式サイト http://afteralltheseyears.jimdo.com/ より)とリム監督も述べておられるように、本作品は様々な解釈ができると思うのです。復讐劇を描いた純粋なサスペンス(或いはミステリー)であるという意見。支配される者から支配者への復讐を暗に描いているのだという意見。このようなものを目にしました。私の感じ方はもうちょっと違っていました。
映画に出てくる重要な二人の男、主役のア・ジエとレストランの店主ラオ・ファン。第一部のかなり衝撃的で奇妙な事件の間、主役は明らかにア・ジエでした。しかし第二部の冒頭、ラオ・ファンの心の不安を吐露する「告白」とも「懺悔」ともとれるようなモノローグが流れます。この瞬間観客は(或いは私だけ?!)「もしやこれはラオ・ファンの物語なのでは!」と思うのです。そうして映画が進むにつれ、ア・ジエという男は本当に存在したのか、もしかしたら町の人々が言うように、最初から存在などしていなかったのではないかと考えるにいたるのです。つまり、ラオ・ファンはア・ジエであり、ア・ジエはラオ・ファンであり、すべてはラオ・ファンの創りだした虚構なのではということ。もっと言ってしまえば、もしかしたらラオ・ファン自体も存在などしないのかもしれません。ここに登場する人物は便宜上体や名前を借りているだけなのかもしれない、つまり誰が誰であるということはあまり重要なことではないのかもしれません。
実は私自身、「謎解き」は好きではありません。なので映画を観るときはまずはそのような謎解きは一切無視して観るようにしています。そのほうが映画の全体像がよく見えるからです(私には)。謎解きは二回目以降からです。本作品ははっきりとした結末や「解決」がありませんので、もしかしたら観る人を選んでしまうかもしれません。しかし、あまり結末について深く考えこまずに映画全体に漂う言いようのない不安にまずはどっぷりとつかってみると、「わけわからんかった~」という人もかなり面白く観れるのではないでしょうか。でも昨日の劇場の雰囲気からしますと、私を含めかなりの人がこの作品にどっぷりつかっていたように思います。

「アフター・オール・ディーズ・イヤーズ」(旧タイトル:それから)
制作:2009年 マレーシア・中国・日本 デジタル 98分
監督・脚本:リム・カーワイ
出演:大塚匡将、ゴウジー(狗子)、へー・ウェンチャオ(何文超)
公式HP:http://afteralltheseyears.jimdo.com/

現在元町映画館では同監督の『新世界の夜明け』を上映中です!写真左はご存知元町映画館支配人。上記質疑応答は支配人の素晴らしい(??)進行のもと行われました。元町映画館公式サイト

コメント

  • どーも。おもしろでございます。
    コメントを書くのにどこに書こうか迷いました。
    テレンス・マリックのところに書くのも違うので、こちらに。
    リム&おもしろの写真はやっぱ俺いけてないね。

    ってどうでも良いですが。
    木曜日西宮来て下さいよぉ。
    たぶんKAVCさんの『アンダーグラウンド』のモクワリに行くつもりですね。
    『アンダーグラウンド』は金曜にお願いしまっす!
    基礎工事の写真や、ビジュアルの話や、もとまち小劇場の全作品や、
    その他、もろもろと元町映画館のすべてをお話しますよってに。
    こんな機会はもう二度とないと思います。
    どうぞよろしゅうに。

    2012/02/13 18:12 | おもしろ

  • おもしろさま

    こんばんは♪木曜日のライブ(?)、宣伝が少ないですよ~w!ということでうちでもちゃんと書いておきました!

    しかし、木曜、KAVCアンダーグラウンド!げげっ!な、なぜバレた!(冷や汗!)。なんとかやりくりして西宮に行けるようにしますね♪帰りの歩きコースも素敵な橋をみつけたことですし!

    でも2時間大丈夫ですかあ??!楽しみにしています!

    2012/02/13 20:47 | Cape Daisee

  • おもしろさまへ追伸

    重要なことを書き忘れていました!支配人、いけてますよ!

    2012/02/13 20:48 | Cape Daisee

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