M.オゼ、P.レイモント監督「グレン・グールド天才ピアニストの愛と孤独」


グレン・グールドと言えば、歌いながらの演奏、コンサート嫌い、異様に低い椅子、変人など、とかくエキセントリックなイメージがつきまとう。個人的には、人間、特に女性よりもピアノのほうが好きなのではないだろうかと思ってしまうほど。しかし今回の映画を観てそれは間違いであるかもしれないということに私は気付いてしまい、そして、彼の孤独の深さを思うとどうしようもなく切ない気持ちになってしまった。(写真:新開地・神戸アートビレッジセンター前)
「He was too difficult to live with」- グールドと結婚したいとも思ったが結局は結ばれなかったグールドのデビュー当時の恋人・フランシス・バローの言葉である。そう、彼は『too difficult to live with』な人間なのだ。どんなに深く愛していようとも共に過ごすことができないくらい相手を苦しめてしまうハリネズミのような人間なのである。
映画『グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独』

人間嫌いで独りでいることを自ら好んでそうしていたという私の勝手なイメージとは異なり、彼は切実に深い絆を求め、いつも誰かにそばにいて欲しかったのかもしれない。前述の恋人フランシス・バローには毎夜電話で作品の仕上がり具合を報告、彼女のピアノが大のお気に入りで、あの55年の衝撃の米国デビュー作『ゴールドベルク変奏曲』はそのピアノで毎日練習したものとか。また、自宅を訪れた幼なじみを無視して一人明け方までピアノを弾き続け、彼が帰ると言うと「お願いだから帰らないで」と懇願する(放っておきながら!)。仕事上の密接なパートナーであったエンジニア、ローンをパブに毎夜迎えに行き「戸籍上の兄弟」になることまで提案。そのような法的な結びつきには興味がないのかと思っていたものだから、これには実に驚かされた。そこまでして、ずっと自分の元を去らない、法的裏づけのある誰かを求めていたということなのだろうか。

しかし、他者の愛を切実に求めながらも彼は表現の仕方が非常に下手。下手というよりわざわざ愛している人を遠ざけてしまうようなことをしてしまう人間なのだ。前述の兄弟になろうという申し入れをローンから「それにはまず僕の兄弟姉妹の了承を得なくては」と言われるとグールドは「ああ、そうか」とあっさり諦めてしまう。否定的な答えをもらった時にさらに相手に踏み込み自分の気持ちをきちんと伝える術を知らないのである。彼の歪んだ愛情表現はご両親に対しても同じだ。自分にピアノを教え音楽家となるきっかけを与えてくれた最愛の母親が病床にあり余命長くないという時、グールドは一度も彼女の見舞いに行かなかったというのだ。理由は「病院での感染症が怖かった」ということらしいが、自分の病気(hypochondriac、字幕では「心気症」と)の薬は病院のはしごをしてかき集めていたというから、これは嘘とは言わないまでも自分への言い訳であろう。また母親の死後、父親が再婚することになったときに猛反対、結婚式にも出席しなかったという。お互いもう大人なのであるのに子供のようなリアクションである。母親以外の女性と父親が結婚することが許せなかったのだろうか。或いは、自分が属さない家庭を父が持つ、つまり自分の父ではなくなるかもしれないという考えに怯えたのだろうか。
映画『グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独』

そんな彼も数年を共に過ごし結婚しようとした女性がいた。人妻である画家、コーネリア・フォス。彼女は夫を捨て二人の子供を連れてグールドの元へ走る。しかし月日がたつうちに彼の精神の病は悪化、薬の乱用もありグールドはすっかり別人となってしまったという。「私が愛した彼はもうどこにもいなかった。まったく別の人間になってしまった」と彼女は語る。愛する女性がそばにいて幸せであったのなら、このような病状の悪化は一般的に言われているようなこと(つまり独りでいるより信頼できる人がそばにいて家庭が安定していると病状も安定するのではということ)とかなり矛盾する。何が彼をさらに不安にしたのだろうか。いつかは彼女を失う時がくるかもしれないという漠然とした不安が意識の底にあったのだろうか。本人以外でこの真相を知る人がいるとすれば、それはコーネリアのみであろうが、おそらくグールドは彼女にも自分の奥の奥に潜む感情はさらけ出していなかったのではないだろうか。そういうことが出来る人であれば、彼女に彼の元を去らざるを得ないという選択をさせるような状況には至らなかったはずだ。

その後、グールドにはソプラノ歌手のロクソラーナ・ロスラックという恋人もできるが、映画によると他人との濃密な関係(おそらく男女問わず)はコーネリアが最後であったという。唯一の強いつながりを持つご両親に対してまで相手を傷つけ遠ざけるような別れ方をしてしまった彼の孤独の深さは、こちらが想像していた以上にはるかに深いものであったのかもしれない。しかしこれはグールドが誰にも愛されなかったわけではないのである。彼が愛した人々は皆、彼を愛そうとしたのに、グールド自身が(自分でもどうしようもコントロールしようがないのだろうが)彼らを遠ざけてしまうのである。
グールドが50歳で亡くなったときの気持ちを聞かれた、子供時代の数年をグールドと過ごした愛人コーネリアの娘エリザは「That’s not fair!(ずるい!)」と少し怒りすら感じたと言う。大人になった今、昔は話せなかったことをいっぱい話して知りたかったのだ。それなのに、最後まで自分勝手にそんなに早く死んでしまうなんてやり切れない、ということだろう。もう少し素直に自分を表現することができていたならば彼の人生はここまで寂しくなることはなかっただろう。しかし、言葉や態度で表現できないからピアノであんなに美しく表現できたのかもしれないということも事実なのだ。
エンドロールで流れるある種コミカルな彼の歌声が、求めるものに向かって素直に飛び込めない、欲しいものが手に入らない自分のことを嘆き嘲笑っているかのようにも聴こえた。

「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」
(原題:Genius Within: The Inner Life of Glenn Gould)
制作:2009年 カナダ 108分
監督:ミシェル・オゼ、ピーター・レイモント
出演:グレン・グールド、コーネリア・フォス、ローン・トーク、フランシス・バロー、クリストファー・ブレンデル・フォス、エリザ・フォス・トリノ、ロクソラーナ・ロスラック他

公式サイト
神戸は神戸アートビレッジセンター(KAVC)にて12月26日まで上映中!(木曜1000円)

グールドをまだ知らない方々へ:

コメント

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

コメントフィード

トラックバックURL: http://www.capedaisee.com/2011/12/gould/trackback/


Twitterボタン
Twitterブログパーツ
その他の最近の記事