超主観的 好きなシーン その4 「気狂いピエロ」
『超主観的 好きな映画のシーン』シリーズその4です。好きなシーンTOP10を列挙してみたら3つのグループに分けられることに気付いたのだけれども、これだけはちょっと特殊なシーンでどこにも分類できませんでした。なので息抜き的に一つだけ単独で紹介します。
息抜きとは言っても、それにしてはちょっと重い作品、『気狂いピエロ』からのワンシーンです。この映画を観たのは17歳のとき、「先生、お腹が痛いので帰ります」といつものように言って学校を早退し、神戸から京都まで観に行きました(当時の私はガリガリに痩せて青白い顔をしていたので映画やライブに行きたいときはいつもこの手でした)。
ずっと観たかった映画なのでひどい興奮状態にあったということもあるのですが、私はこの映画にのっけからやられてしまいました。実は『気狂いピエロ』で一番好きなシーンとは、オープニング・タイトルなのです。真っ黒な画面と陰鬱な音楽、そこに”A”という赤い文字が浮かび上がり、次々に赤と青のアルファベットが一文字ずつ現れます。最後にこれらの文字は主役の2人の名前、監督の名前、タイトルを構成し、また一つずつ消えていき、最後には青い”O”の文字が2つだけ残り、それらもやがては消えるというものです。
これを最初に見た時は非常にショックを受けました。映画全体を示唆するような、そう、『絶望』という言葉(イメージ)が頭に浮かび、(映画のあらすじの予備知識はほとんどなかったのですが) 漠然と「幸せなエンディング」はあり得ないのだなということがはっきりとわかりました。
ここでこの赤と青について考えてみます。このオープニングもそうなのですが、本作品には赤と青が多用されています。これらは単に映像の”美しさ”や”インパクト”を狙ったものではありません(と、私は思います)。作品中の衝撃的な血の描写について聞かれたゴダール自身の有名な言葉に「あれは血ではない。赤だ」というものがあります。であるならば、作品の主な舞台ともなり、有名なラストショットでもある『海』は「海ではなく、青だ」ということなのでしょうか。言い換えれば、”赤”は血であり暴力であり照り付ける太陽、そして青は海、或いは海が象徴する”永遠”であるとも言えます。もっと言うと、赤はマリアンヌであり青はフェルディナンでもあると。海辺の退屈な生活に耐え切れなくなった (元々留まるつもりなどさらさらなかったのだが) マリアンヌは赤の世界、血とバイオレンスの世界へと戻っていきます。最終的にフェルディナン自らの手で命を絶たれたマリアンヌの顔は赤い血に染まり、フェルディナンは自身の顔を”青”く塗って自爆します。そして二人が最後に見つけたものは青の”永遠”でした。こう考えてきますと、冒頭の赤から始まるオープニング・タイトルの、最後のやがては消え去る2つの青い”O”は、この2つの哀しい魂を象徴しているかのように思えてきます。そうであるならば、このオープニング・タイトルは単なるデザインではなく、映画全体を既に冒頭で語ってしまっている(つまり巧妙に練られた)シーンなのであると言えるのではないでしょうか。何度見ても胸がざわつくオープニングです。
ジャン=リュック・ゴダール&クラシック名画特集12タイトル 11/2(水)リリース!
「気狂いピエロ」(原題 “Pierrot Le Fou”)
製作:1965年 フランス・イタリア
監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:ジャン=ポール・ベルモンド アンナ・カリーナ
私的評価:★★★★★ 100点
*ブログ『Days in the Bottom of My Kitchen』 2010.12.01掲載
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